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小説 『As A ……』 おまけ

「先生、どうしましょう。ノルマの五万字にはまだ一万字以上足りませんよ」
「ふふふ、こんなこともあろうかと」
「もしかしてまだ続きがあるんですか」
「いや、ない」
「じゃあどうやってこの先一万字も埋めるんですか!」
「楽屋オチだよ。後書きっぽいだろ」
「具体的に何をするんですか」
「ネタの解説&入れたかったネタ」

1.「As A ・・・」
 最初にヒ素の話にしようという漠然とした計画だけがあって、Asのつく題名にしようと思ってas a personの後ろについているよくわからないものを勝手に引用。

2.「プレヤード伯」
 すばる=プレヤデスから。このころはまだネタを一か所にまとめようとする意識があったような気がする。後半になるにつれてカオスの領域に突入していく。

3.「水木杏奈」
 NANA→ANNAというのが建前。実際は み 「ずきあ」 んな ということらしい。本編でも書いてるけどもう一度言うと、「白木杏奈」と一字違い。

4.「魔術少女イリーガルあずきエース」
 「まじゅつし」 ょうじょ “違法” 「あずきA」 どんだけズキア好きやねん、とN氏から突っ込まれそうな名前。元ネタは言わずもがな。これを書こうと思った主要な動機であり、結構頑張って考えたのに本題にはほぼからんでこない。長いうえにいちいち書くのが恥ずかしいためだと思われる。

5.「戦輪」「滝夜叉丸」
 たきや 「しゃまる」 ってことらしいよ。知らないけどね。ここらでやっと12チャンネルに頼るしかないという自覚が芽生え始める。

6.「グッタペルカ」
 語感の良さ。意味は特に関係ない。代表的な産業はゴム。ただし、グッタペルカとゴムは別のもの。なので本当に意味はない。

7.「C・クレット」
 シークレット。安直すぎる命名。ちょっとは考えろ、というお叱りを受けそうだが、これでも丸一日くらい考えて、思いつかなくて、後から考えようと思って、適当に作って、結局後から考えるなんて面倒なことはしなくて、そのまま適当に残った。

8.「去年レイジンハートで」
 なんとかハートってお城の名前っぽくね? という安直な発想。で、ちょうど七文字だったからなんか映画のタイトルっぽく。

9.「魔王城」
 魔王だし。

10.「食欲魔人」
 元ネタはおりがみ。もともとは女の人だけどね。

11.「庄屋・古手」
 アザミ・庄屋殺し・茶々丸と草の名前っぽいので統一しようと思った。まあ、例のごとく しょうやご 「ロシ」に ちゃ 「ちゃま」 る なわけで。さらに言えば梨花 「ちゃま」なわけで。

12.「Eastside-inn」
 東横インってことだと思うよ。Innでわかむらさきなのは黒茶ってことで。だんだんわかる人だけ分かればいいやの自己満足ゾーンが形成されつつある。

13.「パラサイト・イヴ」
 かつて社会現象になった(らしい)。まだ読んでない人は読んでみてはいかが?

14.「海堂」
 『チーム・バチスタの栄光』とかの人、たしか。

15.「森博嗣」
 『すべてがFになる』の人、最近まで「もりひろつぐ」だと思ってたけど実際は「もりひろし」だそうな。

16.「未来人か、宇宙人か、異世界人か、そうでなければ超能力者」
 順番がうろ覚えなのは仕様です。超能力者をビッグマザーと呼ぶのは母の泉。

17.「顔半分がきらきらお目々」
 これは三月の鳩笛で見た表現。最初読んだときからこれは流行ると確信していた。今のところそういう兆候は全く感じられないが。

18.「ナポレオンも愛した」
 ナポレオンの髪の毛から蓄積されたヒ素が出たそうな。それだけの話。

19.「ブラック・タン」
 黒い紅茶=黒茶=brack&tan。黒茶というより麦の海。ここらへん趣味全開感全開。

20.「黄色、赤、鶯色、鶯色、鶯色、茶色、白の計五色」
 この順に月、火、水、木、金、土、日。外側四つは曜日と色の関係。内側三つはうぐいす館。どうでもいいけど重松清ってやばいね。

21.「トマス・モア」
 イギリスの偉い人。「ユートピア」を書いたんだとか。「羊が人間を食う」とかいう名言を残したそうな。

22.「見ろ!人がゴミのようだ!」
 高いところに上る人は必ず言わなければいけない言葉。ちなみに「ラピュタ」の元ネタはスウィフトの『ガリバー旅行記』なんですってよ。

23.「$&W」
 S&Wとかいう銃があるんだとかいう。しかし、やたら銃に詳しい人ではないので、突っ込まれるのを恐れつつ。


「……どうだっ!」
「それでもあと一万字近く残ってますけど」
「こうなったら最後の手段だ、題して、後書き一万字(約)」
「先生、まさかそれって……」
「そう、そのまさかだ。残り一万字を全て後書きだけで消費しつくすという壮大無比な計画」
「ということは、本文が四万字、後書きが一万字で全体の二十パーセントが後書き……」
「それでは、怠惰と怒涛の後書きスペクタクル、はじまりはじまり~」

はい、後書きです。後書きと名乗るからには(名乗ってない? まあそれはそれとして……)後書きっぽいことをしなければならないのであります。思いつくままに挙げてみると……

1.作品解説
無理。パス。

2.関係諸氏への感謝の言葉
これは楽そう。皆々様、ありがとうございました。

3.……いや、後書きってそんなに書くことないんじゃね?
というわけで後書き終了。
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小説 『As A ……』 最終回

「今日この城の中で起こったことというのは、大きく分けて二つ。一つは庄屋さんが噴水の前で亡くなっていたこと。もう一つは電話線が切られ、外と連絡がつかなくなったこと。この二つの出来事は、少し考えればわかることですが、一人の人間がやったとしたら矛盾が生じます」
先生は静かに語る。です・ます調なのは論理的に聞こえるから、らしい。(本人談)
「もしそうだとするなら、その犯人は死体を人目につくところに置いたままにして電話線を切りに行ったことになります。あるいは、電話線を切ってから殺人を犯したか。どちらにしても、発覚を遅らせようという意図のない犯行と、電話線を切るという理知的な工作は同じ人間がやったとは思えません」
「確かに自然か不自然かやったら不自然やけど、絶対にあり得へんとは言えへんのちゃう?」
「時間がないから、厳密な論理は勘弁してもらえないかな」
「何やそれ」
水木さんは呆れたように先生を見る。でも、そこにはさっき見せたような険しい表情はなかった。
「そして、外部犯の可能性もとりあえず否定して良いでしょう。一人で両方こなすのは今言ったように不自然ですから」
「ということはやはり内部の人間が……?」
ヘーゼルさんが不安げに尋ねる。先生はそれには答えず、
「電話線を切ったのは、あなたですね」
「……えっ?」
先生以外の誰もが、唖然として先生を見た。
「電話をかけに行くと見せかけて、電話線を切断した、いや、切断する必要もなかったかもしれませんね。とにかく、あなたはここにいる人たちに、警察と連絡が取れないことを納得させる必要があったんです」
「そうおっしゃるのなら、何か証拠がおありなのですか?」
「見せる時間がない、と言えば答えになりますか?」
先生が逆に聞き返す。ヘーゼルさんはそれきり一言もしゃべらない。
「じゃあ、この人が犯人なんか?」
「そうじゃない。決してそうじゃない。この人は単に電話をしなかっただけで」
「単に電話をしなかっただけ、って、どこの世界に人が死んでんのにわざわざ電話線切る人がおんねん!」
水木さんが追及する。先生はちょっと逡巡して、ヘーゼルさんの方をちらりと見てから
「警察だよ」
と短く答えた。
「警察がこの城を調べることだけは避けたかった。そうなれば城に隠されたあるものが見つかってしまう。そう思ったのでしょう。だから、警察に連絡する時間を遅らせることで、警察が来るまでの時間稼ぎをしようとした。その間に自分が見つけ出そうとしたんです」
「あるものって?」
「プレヤード伯の遺産、『金雀枝の雫』です」
ヘーゼルさんが答える。
「C・クレットの残した日記には、幼少期の記憶がまとめられた部分があります。その記述によると、クレットは伯爵からこの『金雀枝の雫』を賜り、どこかに隠したとされています。未来の、しかるべき相続者のために」
「その相続者というのが……」
「クレットの曾々々々々々々孫である、私です」
曾々々々々々々孫って何代目になるんだろうか。というか、
「先生は分かってたんですか?その『金雀枝の雫』とかいう……」
「僕はこう見えても研究者だからね、有名な財宝……もとい遺跡をチェックするのも重要な仕事だよ」
研究者って奥が深い。
「あなたはそれが城の中にあると考えたんです。しかし文化財に指定されている城内を好き勝手に捜索するのは難しい。そこであなたは観光局の職員となり、観光客を案内する傍ら、自らは城内を探しまわっていたんですね。だから今日も僕たちに自由に見学させた」
先生はヘーゼルさんを指差す。ちなみにこの指差しは国にもよるけど基本的に失礼なので、常識のある人は(ない人も)やらない方がいいと思う。
「もういいですか。ご存じなんでしょう、私に時間がないことは」
「もちろんです。でも、もし望むものを手に入れたいのなら、もう少し聞いてもらえませんか」
ヘーゼルさんが立ち去ろうとするのを先生が止める。もしかして先生はもうそのありかに見当が付いているのだろうか?
「場所について話す前に、先に明らかにしなければならないことがあります。すなわち」
そうだ。電話をしなかったヘーゼルさん。でも、それとは別に、もっと直接的に関わった人がいるのだ。
「庄屋さんの死の真相です」

「重要な点は、この城に入るとき、荷物を預けたということ、つまり、凶器となりうるものを持ち込むのは極めて困難だということです。もちろん、ヘーゼルさんなら可能でしょうが、真っ先に疑われるでしょうし、その可能性は無視してかまわないでしょう」
先生は全員の顔を見ながら話す。
「では、その凶器とは何か。これはあくまでも僕の想像ですが、庄屋さんは毒を飲んでしまったのではないでしょうか」
水木さんがすかさず古手さんの方を見る。
「といっても、誰かが飲ませた訳ではありません。みずから毒を飲んだのです」
「みずから……そんなはずはない。だってあの人は自殺なんてする人じゃ……」
古手さんは振り払うように首を振る。信じられないのも無理はない。私だってにわかには信じられない……
「そして、自殺でもありません」
え? 他殺でも自殺でもないとしたらいったい……?
「不幸な事故です」
「そんな……」
あれが事故? そんなことがあるだろうか?
「だって、事故で毒を飲むなんてことって……」
「おそらく庄屋さんが飲んだのは」
先生が後ろの噴水を指差す。
「あそこの水でしょう」
「じゃあ、誰かが噴水に毒を入れたってことですか?」
「それも違う。毒は誰が入れたのでもない、最初から噴水の中に入っていたんです」
「最初から、というのは?」
「ある種の鉱物はヒ素と結びついた状態で産出することが知られています。もしこの城の石材にそういう鉱物が含まれていたら、そしてそれが風雨にさらされ、微粒子となって水の中に、あるいは風の中へと広がっていったとしたら」
「『魔王城』伝説……」
ヘーゼルさんがはっとしたように呟く。
「おそらく、石を切り出した人たちが呪われたというのは、その時に飛び出した粉じんを吸ってしまったのでしょう。城や町の人を悩ませた奇病も、風化した城壁が舞ったり、風向きによって町の方へ流れていったのが原因だと思います。手足のしびれなんかは少量のヒ素を継続的に摂取し続けた時の症状に酷似していますし」
「でも、それはおかしいと思うのです」
今まで黙っていた古手さんが突然口を開く。
「少しずつ長い間かけて飲んだのなら目立った痕跡は残らないのでしょうが、今日初めてこの城に来た庄屋クンが致死量のヒ素を飲んだのなら、何らかの痕跡が残っていないとおかしいと思うのです。ちなみに、ヒ素を一度に大量に摂取するとおう吐などの症状が出るらしいのです」
詳しいな無駄に。
「確かにおっしゃる通りです。庄屋さんの遺体の周りには何らかの痕跡が残ってなければならない。それがないというのはどういうことか。誰かがその痕跡を消したということです。もちろん、死体が動けるはずはありませんから、誰かほかの人物の手によって」
「まだ登場人物がいるのですか」
古手さんが呆れたように言う。
「だいたいその人物は、どういう理由があってそんなことをしたのですか? 自分が殺したのではないのですから、手間のかかる偽装をする意味はないと思うのですが」
「その理由は、あなたに深い関係があるのですよ、古手さん」
意味が分からない、という顔をする古手さん。
「あなたは、ずいぶんと薬についてお詳しいようですね」
「……どういう意味なのですか?」
「疑っているわけではありません。ただ、あなたは当然疑われる位置にいたということです。あなたの肩書は疑われるに十分ですから」
確かに、毒物とか使いそうだ。薬学部だし。
「もし明らかに毒物の形跡が残っていれば、真っ先に疑われるのは、古手さん、あなたです」
じゃあ、庄屋さんの周りの毒物の跡を消したのは、古手さんに疑いの目を向けさせないため……。
「ですね、水木さん」
「……」
水木さんはうなだれたまま、何も答えない。古手さんが呟く。
「どうして……」
それでも水木さんは、固く結んだ唇を開かない。何かを必死にこらえるような表情。
「あの、お取り込み中のところ、申し訳ないのですが……」
「どうしました、ヘーゼルさん?」
「私の『金雀枝の雫』のことはどうなるんでしょうか」
「あ」
そうだった。すっかり忘れてた。
「もうすぐ七時なんですけど」
「そうでしたそうでした。大丈夫ですよ、忘れたわけじゃありませんから」
絶対忘れてたんだろうな。
「『城の中であり、同時に城の外であるあの場所』。日記によると、『金雀枝の雫』はそこに隠されている。では、その場所とは一体どこなのでしょうか」
よどみない先生の声。先生は言語学者だけあって活字を覚えるのはだいの得意なのだ。私としては言語学者なんだから人の話も覚えておいてほしいところだけど。
「『城の中』というのはおそらく文字通りの意味でしょう。問題は『城の外』です。城内で『城の外』と言えるような場所、それは」
ヘーゼルさんがかたずを飲む。
「『噴水の中』です」
「中……ですか?」
中と言われても、水しかないんじゃ?
「ちょっといいですか」
先生は驚く私たちを尻目に噴水の中に入っていく。
「先生、それ、一応文化財ですよ、入っていいんですか?」
「せっかくの文化財なんだから、直接触って体験しようとは思わないのかい」
そんなこと言って、壊したらどうする。
「やっぱり、まずいですよね、ヘーゼルさん」
「もちろん、文化財の損壊は重罪です。でも……」
ヘーゼルさんはいたずらっぽく、
「東洋のことわざで、形ある物、いつかは壊れる、と言うそうですよ」
いつか壊れるのと今壊れるのは大きな差があると思うけど。
先生は噴水の真ん中、水が噴き出すその場所にかがみ込む。先生の服はあっという間に水浸しになる。先生は水の出る根元の部分を手で探りながら、
「よし、思った通りだ」
慎重に慎重に、何かを取り出す。
 先生の手に握られていたのは、こぶし大の丸い固体。
「それが……『金雀枝の雫』……」
ヘーゼルさんが嘆息する。
「でも、どうして噴水に隠してあるってわかったんですか?」
「どうしてかって? そうだね……」
先生は笑いながら答えた。
「一つは、クレットの残したもう一つのメッセージだよ」
「もう一つの?」
「昨日見ただろう、『去年レイジンハートで』。あれがキーだったんだ」
昨日? そういえば博物館でそんな題名の絵を見たような気がする。珍しい名前だな、とは思ったけど、どんな絵だったかまでは覚えてない。これじゃ先生を笑えない!
「どんな絵か覚えていない人のために一応説明しておくと、レイジンハート城の四季それぞれの情景を一枚の絵に収めた、C・クレットの代表作。夏は堀の周りで魚釣りに興じる人々、秋は中庭で宴会をする人々、冬は尖塔から街を眺める伯爵、そして春は、城の外で復活祭を祝う領民の姿を描いている……もう分ったでしょう」
「何が?」
「城の外は春、春は英語でスプリング、スプリングのもう一つの意味は」
「泉……そっか、だから噴水」
「言語学者だからね、これくらいできて当然さ」
先生はいかにも学者という風に胸を張って見せる。
「言語学者ってダジャレが好きなんですね」
「ダジャレじゃなくて、言語に対する音素・表記的なアプローチなんだけどな」
「それって別のものなんですか?」
「そりゃあもう、月とスッポン、ウサギとカメ、シロアリとゴキブリ並みだよ」
最後のはそこまで違わないと思うけど。
「それに、もししらみつぶしに探したとして、最後に残るのはここだろうからね」
「どうしてですか?」
先生はいたずらっぽく笑って
「城からびしょぬれで出てきたら不自然だからね」

そのあとすぐ、観光局の人たちによって城門が開けられ、ヘーゼルさんの指示によって警察が呼ばれた。イギリス警察――いわゆる、“スコットランド・ヤード”――が到着したのはそれからわずか五分後、すぐさま何人かが城内に乗り込み、庄屋さんを運んできた。私たちはと言うと、物腰は丁寧だけどちょっと怖い警部(イギリスの警察の階級制度は知らないけど、たぶんそれくらい偉い人)の取り調べを受けた。これは取り調べが終わってから聞いたことだけど、結局、先生の言った通り、庄屋さんの死因はヒ素系の毒物だったらしい。私たちの旅行は思わぬハプニングに巻き込まれながらも、なんとか終わりを迎えた。

「どうしたんだい、そんな顔して」
「なんや、センセかいな。人が考え事してるときに声かけんといてくれる?」
「考え事ね、それならいいんだ。ただ、もし一人じゃ解決できない問題なら、協力させてほしいな」
「センセには関係のないことや」
「関係がないからこそ、ということもある」
「……そうかもしれんな。それに、どうせセンセはお見通しなんやろし。」

「ウチは、あのとき、あの子を、疑った」

「センセはウチが庄屋クンの体からふき取ったのは、あの子が疑われへんようにやって言ってくれた。でも、ホンマはあの時、ウチはあの子を疑ってた。ウチが考えてたんは、センセが言ってたようなこととは全然違う。ウチはあの子を信じたらなあかんかったのに」
「……そうかもしれない。でも、それでいいんじゃないかな」
「いいって……」
「もし僕が君と同じ状況に置かれたら、きっと同じことをしていたと思う。どんなに信頼している友人であっても、いや、そういう友人であればこそ、僕はその友人を疑わずにはいられない。それでその友人を傷つけることになっても、僕は疑わずにはいられない。だって、友達を心配するのは、友達を信じるのと同じくらい当たり前のことだろう?」
「……」
「それに、もし僕が君に疑われたとしても、僕はちっとも気にしない」
「それはセンセが日ごろから疑われるようなことばっかりしてるしやろ」
「そうなの?」

 午後三時、先生の研究室。穏やかな日差しが部屋の中をやさしく照らす。
「あの……先生、ちょっといいですか」
「ん、何だい?」
「私たち、イギリスに行ったんですよね」
「そうだよ」
先生が大きくうなずく。
「じゃあ、これは何ですか?」
私が指差した机の上には、見るからに純和風な包み紙が山積みになっている。
「ういろうだよ。漢字で書くと外郎。お菓子として知られているけど、もともとは医薬品として使われていたらしいよ」
「そんなことより、どうしてイギリス土産がういろうなんですか」
「よくぞ聞いてくれました。実は最近世界各地のご当地ういろうを収集するのに凝っててね、イギリスのご当地ういろうはずっとほしいと思ってたんだよ」
先生の趣味が理解に苦しむのはいつものこと……とはいえ、ういろうしか買わないという選択に根本的な間違いがあるような気がするのは気のせい?
「ところで、これ、何味なんですか」
「茶色の包み紙はスコーン味、赤色のは紅茶味、その下になっているのがエール味とサーディン味」
「おいしいんですか、それ」
「さあ……」
これはちょっとした恐怖ですよ先生。
 なんて愚にもつかないことを考えていると、勢いよく研究室のドアが開けられた。
「ひっさしっぶり~、何してんの、センセ、あんどユーナちゃん」
「水木さん!」
入ってきたのは相変わらず和装に関西弁の(もちろん普通服装ならまだしもしゃべり方が相変ることはまずないわけだから、当たり前と言えば当たり前だけど)水木さんだった。
「何なん、この大量の箱は?」
「ああ、ちょうどいいところに来てくれた。実はこれ、君へのお土産なんだよ。今から私に行こうと思ってたんだ」
「ウチ、一緒に行ったよな、確か」
「でも、あの後あんな事件があっただろう。結局いろいろごたごたして、買えなかったかもしれないと思って」
水木さんは半信半疑ながら、
「まあ、そう言われたら確かにあんまし買い物もできてへんしな……」
「うんうん。そうだろうそうだろう」
「折角やし、もらえるんやったらもらっとくわ」
先生はその言葉を聞くと、目にもとまらぬ早業で机の上のういろうを大きな紙袋に詰めて、水木さんに押しつけた。
「いや~、ありがとう。それじゃ、気をつけて帰ってね。知らない人についていったらだめだぞ」
「子供か」
研究室から出ていく水木さんを、私たちは無言で見送った。


(Fin)

小説 『As A ……』 第回

「例えば、僕らが塔に上っていたころ、他の人たちはどこに行ってたんだろうね」
「どういうことですか?」
先生は城の天井を眺めたまま言葉をつづけた。
「この城はそんなに広い城じゃない。なのにわざわざ自由行動にするなんて、ちょっと不自然じゃないかな。全員で動いてもそう問題が起こるわけでもなさそうだ。むしろ……」
「むしろ?」
「全員で固まらないようにそうしたのかもしれない。他の人に見つからずにやらなければいけない何かのために」
「それって……」
計画的な事件だということ。そしてそれができたのは……
「ヘーゼルさんが?」
「まだ断定はできないけどね。でも、あの人は何か知っていると思うよ」
そう言えばヘーゼルさんって今銃を持って城をうろついてるんだよね。
「先生、水木さんと古手さんが危ないんじゃ……」
「大丈夫だよ、心配しなくても。たぶんだけど」
たぶん大丈夫ほどあてにならないものもない。
「何の根拠があるんですか」
「料理だよ」
「料理?」
「昨日ヘーゼルさんが作った料理、とってもおいしかった」
はい?
「それが何の関係があるんですか」
まさかあんなおいしい料理を作る人に悪い人はいない、なんて言うんじゃ…
「殺すつもりの人に、おいしい料理を作る人はいないよ」


ケイトの手の中で例の小箱が乾いた音をたてた。どうしたものだろう。誰の目にも止まらずにこれを隠しておけるところ。城の外、それもできるだけ遠いところ。南は論外だろう。わざわざ火の中に飛び込むようなものだ。かといって北に向かうのにも危険がともなう。北欧の荒くれ者たちの手に渡るのはある意味ではもっと悪い――彼らはこの箱の価値を知らないし、どれほどの敬意を払うべきかもわからないだろうから――。
あまりこの城から離れられない理由はそれだけではない。ケイト自身、長旅など今まで一度も経験したことがない。どうあがいても、南からの軍勢が来るより速く逃げることは不可能に思える。
逆説的だが、城に隠すのが最善策だろう。箱を持たずに、誰かの目に留まるように城を出る。そうすれば、城に箱が残されているとはだれも思わないだろう。
だが……、ケイトの思考はそこで止まってしまう。伯爵の当初の計画と完全に対立することになってしまう。城内でもっともそういう仕事に向いていないと思われているであろうケイトだからこそこの箱を託されたのだ。箱を持ち出さなければ、伯の期待を裏切ることになる。
ケイトの心に奇妙な感覚があった。何か思い違いをしているのではないか。伯の意図を、十分に理解していないのでは?
この箱を持って逃げろ。でも何から? 大陸からの侵略者? それとも……
ケイトは背筋が粟立つのを感じた。


どうしてこんなことになったのでしょう。折角無理を言って来てもらったのに。
どれだけ責められても文句は言えません。それは承知しているのですが……。
それにしても、このタイミングではかったようにこんなことになるのは、何らかの作為を感じずにはいられません。今まで良くしていただいたのに疑うのは失礼かもしれませんが、こっちだって泣きたい気分です。橋が戻ってしまえば、もう城の中は警察の管轄です。スコットランド・ヤードの手にかかれば城の壁の石一個一個に至るまで調べつくされるのも時間の問題です。
こういうさしせまった状況でこそいい知恵が浮かぶ、という人はおそらく無自覚な怠け者で、普段は力を出し惜しみしているだけなのでしょう。時間制限ぎりぎりで謎が解けるというのも映画ではよくある光景ですが、実際には最後の最後まで分からずじまいの方が普通です。今までずっと悩んでいたものがふとしたきっかけでひらめいてあれよあれよという間に解決、なんてのも残念ながらなさそうです。
いっそのこと、あの月見里とかいう人に聞いてみましょうか。スコットランド・ヤードの狼藉を黙って見ているよりはましに思えるから不思議ですね。


「何事も現場百辺。現場百辺。現場百辺倒だよ」
「誰が言ってたんですか、そんなこと」
「誰がも何も、推理小説の刑事はだいたいそんな感じじゃないか」
現場百辺倒って現場を重視してるのかしてないのかいまいちわかりにくい。一辺倒より百辺倒の方がすごいんだろうか。
 私たちは結局城中歩き回った末、事件のあった中庭に戻ることにした。先生も私の足に多少気がねしたみたいだ。いいところもあるんだけどね。
「この噴水で見つかったんだよね」
先生が覗き込んだ噴水はせいぜい五十センチくらいしかない。
「ここで溺れるなんてことは……」
「ありえなくはない、かもしれない」
「あるんですか、そんなこと?」
「水深五センチでも人は溺れることがある、らしい」
豆知識だ。
「水に顔を押しつけられたりとか、そういう特殊な状況ならね」
「じゃあ、水に顔を押し付けられたんでしょうか」
推測を口にしてみる。
「その可能性はある」
先生がうなずく。
「ということは、犯人は、庄屋さんを中庭に呼んで、隙をついて後ろから襲った。で、顔をこう、押しつけた」
そう言いながら噴水の方へ身を乗り出す。でも、
「浅い……ですね」
噴水の縁が邪魔をして、水面まで顔が届かない。
「もっと身を乗り出したらどうだろう。そうしたら届くんじゃないかな」
噴水の底に手をついて、何とも妙な姿勢で進む。と、
ぱきっ。
 何かが壊れる音がした。
「先生、これって……」
「……離れようか」
ああ、こうやって日本のイメージが下がっていくのだ。

「でも、ちょっと体重をかけただけで崩れちゃうなんて……」
「成長したねえ」
「違うから。それだけあの噴水のへりが脆くなってたってこと」
「なるほど」
大丈夫か先生。というかさり気に聞き捨てならないことを言われた気がする。
「これじゃ無理やり押さえつけるなんて真似はできそうにないね。そんなことをしたら噴水自体がばらばらになっちゃう」
「じゃあ、溺死以外、ってことですよね。う~ん、他には……」
転落死だったら噴水は跡形もなくなっていただろうし、刃物で刺したのなら噴水は真っ赤に染まっているはずだし、そもそも荷物が持ち込めないんじゃ凶器は使えない。
 いや、でも、小さいものだったら隠し持って入れるんじゃないだろうか。「寸鉄人を殺す」とも言うし……違うか。だいたいヘーゼルさんも物騒なもの持ってたし……
 そうだ。ヘーゼルさんならその気になれば何でも持ちこめる。銃だろうが爆弾だろうがよりどりみどりだ。
 先生はいい料理を作る人に悪い人はいないとか言ってたけど、何事にも例外というものがある。
「先生、やっぱりヘーゼルさんが犯人ですよ。だってそうとしか考えられません」
「というと?」
「だって、凶器を持ち込めるのはヘーゼルさんしかいません。そして、噴水か壊れていないということは、溺死や転落死ではないということ。つまり凶器を使った殺人だということです」
「ふむふむ。それで?」
「だから、ヘーゼルさんはどうやって庄屋さんを……」
「そう、それです。驚かないでくださいよ」
これはさすがに先生も思いつかないだろう。私は自信を持って話し出した。
「ヘーゼルさんは中空になったナイフで庄屋さんを刺したんです。そうすれば返り血は飛び散らない。出てきた血は柄の部分に袋をつけておいて、そこにたまるようにすればいいんです。ある程度時間をおいたら、素早く止血して、噴水の石組みが壊れないように注意しながら死体を水の中に放り込む。袋に入った血はお堀に捨ててしまえば誰もわかりません。たとえちょっと血が飛び散ったとしても、ふき取ってしまったらちょっとやそっとのことでは……」
そこまで言って気づいた。
「って、今はこの城閉まってるけど、七時になったら門が開いちゃうんですよね。そしたら死因なんてすぐわかっちゃいますよね。死体に刃物の跡なんかあったら一番に怪しまれちゃいますよね……」
真っ先に疑われるんじゃこんな凝った殺し方をする意味がない。
「それもそうだけど、他にも突っ込みどころはあるよ」
先生がそこに追い打ちをかける。
「例えば、凶器だけど、もし絞殺なら丈夫な紐一本あれば足りる。もしかしたらこの」
先生が自分の足元を指す。
「靴紐を使ったのかもしれないよ」
確かに先生の言う通り、凶器で絞り込むのは死因が分からない以上難しそうだ。
「それにもう一つ。自由行動ってことは、もしかしたら誰かが中庭に入ってくるかもしれないってことだ。もし計画的な殺人だったらこういう場所ではやらないんじゃないかな」
周囲を建物に囲まれたこの場所は、外からは見えにくいけど建物の中からはかなり見えやすい。ここでこそこそと何かやる気にはならない。
「でも、ある意味いい線いってると思うよ」
「そうですか?」
どこら辺がいい線なのか自分ではわからないけど、そう言われると悪い気はしない。
「何も噴水のところで死んだと決まったわけじゃない。別の場所から運ばれたのかもしれない。何者かの手によってね」
「でも、それこそ変ですよ。だって別の場所で殺したのをわざわざここに持って来る意味がないじゃないですか」
「それは……何でだろうね」


 私なのだ。
伯爵がこの箱を渡した本当の理由を、ケイトは理解した。
 ケイトが最も目立たない人間である以上に、最もふさわしい人間だからだ。
はじめてこの城に来た時のことを思い出す。白い城。伯爵が見せる笑顔。考えてみれば奇妙だ。他の人に対してそういう姿を見せたことがあっただろうか。
 そしてあの眼差し。家族に見せるような優しい瞳は私が憧れていたものではなかったか。
伯には子供はいない。伯の血はこの代で途切れる。世間ではそう思われている。しかし、もしケイトが伯爵の遠縁でもなんでも、とにかく親戚であれば、伯の血は女系とはいえ一応続くことになる。
箱は持ち込まれたのではない。最初からこの城にあったのだ。この箱が伯爵家に伝わるものであるなら、当然それを受け継ぐ権利がある。そして、大陸から来た同族もこの箱を欲しがるだろう。伯爵が心配していたのはそのことだったのだ。
ケイトはそこでいったん思考を停止した。仮にそうだとしても、やはりこの城から逃げるというのは非現実的だ。城の外が中より安全だとは思えない。
それとも、そう判断する根拠が伯爵にはあるということだろうか。
伯爵の言葉をもう一度思い出す。この箱を持って城を出なさい。城を出る。逃げるのではない。ただ城を出る。
そう言えば伯はときどき体の不調について洩らすことがあった。それも城が原因だと考えたのか。外の町の人々のように、この城に魔王の影を見ているのか。
ならば私もこの城を出よう。城の中であり、同時に城の外であるあの場所に、小箱一つを残して。伯は快くは思わないかもしれない。でも構わなかった。小箱は必ずもう一度私の手に戻ってくる。伯爵もそうなれば文句はないだろう。
ケイトは小箱をそっと撫でた。表面の文様が鈍く光っていた。



先生はしばらく中庭を調べた後、唐突に時間を尋ねた。
「時計が変なんだ。全然見当違い、あさっての方向」
「四十八時間進んでるのが分かったらすごいですよ」
「いや、そういうあさってじゃなくて」
一矢報いた気分。
「先生、時差を合わせてないんじゃないですか?」
「そんなはずはない。僕は常にグリニッジ標準時で動いている超国際人だよ。合わせるまでもなくピッタリになってないとおかしいんだけどなあ」
「あ、じゃあ、もしかしたら私のせいかも。一ヶ月くらい前に先生の時計がすごくずれてたから合わせようと思って」
「なるほど、それでこの一ヶ月なんだか調子が出なかったのか」
一ヶ月もよく気付かずに過ごせたものだ。
「私の時計によると、七時十五分前です」
「ということは」
「あと十五分で外へ出られるってことです」
「何だって。じゃあ、あと十五分でみんな外に出ちゃうのかい?」
そう言ったつもりだけど。
「至急、他の人たちを呼んでこよう」
「ちょっと待ったぁ!」
振り返るとそこには木の上からさっそうと登場する水木さんの姿が。
「いつからいたんですか?」
「それを聞くのは野暮ってもんやろ……っと」
木から飛び降り、着地を決める。さすが先生の知り合いなだけあって、行動に謎が多い。
「センセはむかしから何でも頑張りすぎるところがあるからな。ほっといたらええのに首突っ込んで、引っかき回して……」
「単刀直入に言ってもらえるかな」
「要は、この事件に首を突っ込むな、ちゅうことや、ウチらのためにも、センセのためにも」
鋭い眼光。今まで見せたことのない、射抜くような視線。別の世界の存在であることを、本能的に感じさせる何か。巧妙に隠されていたものがあらわになったような、見てはいけないものを見てしまったような、そんな空恐ろしさがこみあげてくる。
 この人は、本当はそういう人なのだ。
「君は何か勘違いをしている。確かに僕は時々やりすぎちゃうこともあるけど、今回に限って言えば僕が首を突っ込んだ方がいい、僕らのためにも、君たちのためにもね」
先生も一歩も引かずに水木さんを見返す。
「ヘーゼルさんと古手さんを呼んできてもらえるかな」
「……分かった。ほんまに大丈夫なんやろな。もしちゃうかったら……」
「大丈夫。僕が保証する」
毅然として宣言する。いつもの適当な態度からは想像もつかない堂々とした(そして想像もつかないほど真面目な)物腰。ほっぺたをつねって夢かどうか確認したい気分になる。
 水木さんがいそいそと城の建物の中に入っていくのを見ながら、私は先生に質問してみた。
「先生、大丈夫ですか?」
「何が?」
「何だか別人みたいでしたよ。ものすごく真剣というか、真面目というか」
「それって、まるで僕が普段真剣に真面目に生きていないみたいじゃないか」
自覚はないのか?
「まあ、とにかく、ちょうどいいところに出てきてくれてよかった。銃を持ってうろついてる人を呼びに行くのはちょっと怖いからね」
やっぱりさっきまでの先生の雄姿は夢だったのか。

「さて、この事件は……、いや、違うな」
「何ブツブツ喋ってるんですか?」
さっきからおかしくなってしまったのではないかと心配して聞いてみる。
「これはブツブツじゃなくて、立派な予行演習なんだよ。僕の推理を待っている人たちのために、ベストを尽くさなければならないんだ」
何だか、責任感のある人みたいなオーラが出ている。やっぱりおかしくなったんだ。
「そう、僕を信じている人のために……って、痛い痛い」
「夢じゃないんだ……」
「普通自分のほっぺたで試すんじゃないかな、そういうことは」
自分ので試してみる。やっぱり痛い。
「何遊んでるんや。この通り連れてきたし、はよ始めてや」
振り返ると、警戒の色濃いヘーゼルさん、疑問の色濃い古手さん、そして何故か疲労の色濃い水木さん。
「じゃあ、全員そろったようだから、始めようか。時間もあまりないことだし」
先生が静かに語りだす。
「さて――」


(続く)

小説 『As A ……』 第Ⅳ回

「先生はどう思います、さっきの話?」
「さっきの?海堂尊と瀬名秀明はどっちが強いかって話かい?」
「違います」
だいたいホラー文庫とこのミスでは毛色もだいぶ違うし、そもそも何で戦わせる必要が?
「だから、ヘーゼルさんが言ってた“魔王城”の話ですよ」
「ああ、あれね。僕はちょっと信じられないな。こういう観光地には真偽の知れない伝説はつきものだからね。例えば、よく言われることだけど、日本には源義経臨終の地が全部で十か所あるとか。だからあまり鵜呑みにはできないと思うよ」
「へえ、意外ですね。先生はもっとこういうの信じちゃう人だと思ってた」
「失敬な。僕はこれでも科学者の端くれだよ。“魔王”だなんて信じるわけがないじゃあないか」
先生と私は内容があるのかないのか分からないような会話を交わしながら階段を上っている。レイジンハート城、西の尖塔。そこに通じる階段はかなり急な上、ところどころボロくなって段の石の一部が取れたり外れたりしている。
「ふぅ、やっと頂上だ。いや~、絶景哉絶景哉」
先生はどういうわけか高いところが好きだ。高い所に上ると決まって……
「見ろ!人がゴミのようだ!」
ほんとにムスカが好きだね。
「ほら、優菜もはやくおいでよ。いい景色だ」
遅れて尖塔の最上部の小部屋につく。南側に大きく窓が開いていて、そこから外が見えるようになっている。私は窓の向こうを眺めた。
 眼前に広がるのはグッタペルカの街並みだ。石造りの伝統的な建物が多い。けど、昼間なのに人っ子ひとりいない。しんと静まり返っている。その向こうにあるのは何かの工場だろうか?もう長い間使われていないらしく、鉄骨がむき出しになっている。町を越えるとそこには荒涼とした丘陵地が広がるばかり。確かに絶景だけど、毎日見たくはないタイプの景色だ。
 世界の終わり。そんな言葉が思い浮かんだ。どこまでも続く荒野、誰もいない町、そんな風にして世界は終わっていくのだろう。そしてその様子を尖塔から見守る一つの影、それがきっと魔王なのだ。

 どれくらいそうしていたのか分からない。ただ、確かなことは、私が今聞いたのは、吹き抜ける風の音ではなくて、女の人の悲鳴だったということだけだ。
「先生!」
「下だ。急ごう」
身を翻し、階段を駆け降りる先生。
「あっ」
……確かなことは、私が今聞いたのは、階段を駆け降りる足音ではなくて……

 どすん。

 下に落ちた先生と下に降りた私は急いで声のした方に向かった。城の中庭。ツタと灌木で彩られた中央の噴水。水木さんが眺めているその水の中。ヘーゼルさんが引きずりあげたのは、
「庄屋さん……」
「そうだ。早く警察に連絡した方が」
先生が冷静に指摘する。
「よし、百十番だ」
ここはイギリスなんだけど。
「あれ?ない……」
「申し訳ありません。城に入る前に荷物は全部預からせていただいたので、たぶんその中に……あと、この町では携帯電話は通じないと思います、アンテナがないので」
そう言われれば、荷物は預けたんだった。
「城に備え付けの電話があったはずです。私がかけてきます」
ヘーゼルさんが走り出す。先生はそれを見届け、動かない庄屋さんの手首をとった。
「……だめだ」
先生が首を振る。でも、その眼はただ悲しみに暮れているわけじゃない。先生のその眼は真実を探していた。

「外と連絡が取れない?」
「はい、電話線が切られていて、電話は使えません。城門は外からリモートコントロールでしか開けられません」
私と先生、ヘーゼルさんと水木さん、そして古手さんと、動かない庄屋さん。六人は中庭でこの事故とも事件ともつかない出来事にどう対応すればいいのか話していた。もっとも、話しているのは先生とヘーゼルさんの二人だけだけど。
 私はとくにやることもないので手持ちぶさたで庭を眺めていた。東西北の三方を城の建物に囲まれた庭は、各方向に一か所ずつの出入り口がある。南側には私たちが上った尖塔が見える。建物全体は上から見るとちょうど「コ」の字になっていて、私たちのいる中庭はそのへこみの所にある。
 庭を飾っているのはそれほど樹高の高くない草木だ。いくつか日本でもよく見る種類もある。こういうとき植物の名前をよく知っている人がうらやましくなる。どこにあったかは分かるのに何て名前か分からないのはちょっともどかしい。銀行の前なんかでよく見る植え込み――仮に、「銀行の前の木」とでも呼んでおこう――が薄い日の光を浴びて丸くなっている。南が開けているのは、日光を差し込ますためなんだ、と気づいた。
 緯度の加減か少しくすんだ緑の中に、放心したように水木さんが立っている。水木さんも私と同じで、先生とヘーゼルさんの会話に加わるでもなく、かといってこのまま観光を続ける気分にもなれず、中途半端な気持ちのまま宙ぶらりんになっているんだろう。水木さんの視線の先をたどると、噴水のそばの古手さんに行きついた。突然のことだけに、みんなどう対応すべきかもわからないのだ。
「みなさん、聞いて下さい」
ヘーゼルさんが声を上げた。
「電話が通じなくても夜の七時には外から門を開ける手はずになっています。ですから……」
全員、息をのむ。
「適当に城内を散策なさってください」
「って、何でやねん」
目の前でボケられるとほぼ条件反射的に反応するらしい。こんな関西人にだけはなりたくないものだ。
「理由については月見里さんの方からお話ししていただくとして……」
「はい、只今ご紹介にあずかりました月見里です」
先生が若干無理やり後を継ぐ。
「検死官もいないし、死因はおろか事故か殺人かも分からないんだよ。もし事故だったらとりあえず現状だけ保存しておけば大丈夫だろう」
「もし殺人やったらどうするんや?こん中に殺人犯がおるかもしれんのやろ」
至極まっとうな疑問。
「もしそうだったとして、僕らは犯罪心理学の専門家じゃないわけだし、殺人犯の心理なんてわからないわけだよ。次に彼が――彼女かもしれないけど――どういう行動をとるのかも予想できない。固まって行動するべきか、それともばらばらに動いた方がいいのか、判断のしようがないじゃないか」
不安すぎる回答。
「どちらにせよ、せっかく来たんだから、見られるものは見ていこうよ」
そして本音すぎる一言。
「たしかに月見里さんの言うことにも一理あるのです。この中に殺人犯がいるのならなおのこと。というわけで七時までさよならなのです」
よく言われる話だけど、推理物のマンガなんかで単独行動する人ってたいていすぐに殺されるよね。
「あ、もちろん殺人犯がここにいる以外の人間で、今も城の中で息をひそめている可能性も無きにしも非ず、だから、用心した方がいいですよ」
先生の呼びかけに一瞬足を止めて、それでも振り向くことなく古手さんは北側の出入り口から出て行った。
「大丈夫かなあ」
「そうですね。私、見てきます」
無責任極まりない先生。ヘーゼルさんと並ぶとかすんで見える。
「みなさんも、今回のことはお気になさらず、どうかこのままお続けになって下さい。私は……」
城を見上げるヘーゼルさん。
「あやしい人間がいないか城内を見回っておきます」
「で、もしあやしい人がいたら?」
先生の問いにヘーゼルさんは腰にさした黒光りする武器を見せて答えた。
「英国淑女たるもの、客人を脅かす不埒な人間を許しておくわけには参りません。もしそんな輩がいたら、この$&Wのサビになっていただきます」
物騒な淑女だ。
「じゃあ、僕たちも行こうか、ここにいても仕方ないし」
銃を持った自称淑女がうろうろしてる城の中に入るよりは仕方あるような気もするけど。
「心配しなくても大丈夫だよ。何も起こらないから」
先生は自信ありげに言う。自信ありげなのはいつものことだけど。
「でも、さっきは何も分からないって……」
「そうだったっけ?」
いたずらっぽい笑みを見せる先生。
「本当はもう分かってるの?」
「それをいまから確かめに行くんじゃないか」


恐れていたことが現実になるのと、思いもよらなかった悲劇が突然起こるのだったらどちらの方がより痛みが少ないのだろう。
 もし答えが出せたとしても、それは何の役にも立たない、何故なら、すでにそれは起こってしまったのだから。
 あれほど釘をさしておいたのに、やっぱりこんなことになってしまうなんて。まして、あの人がいるこの城の中で。
 中庭に入った時点ではっきり分かった。誰が何をしたのか、自分はどうすべきなのか。
 心配する必要はなかった。完璧に偽装する必要はない。ただ時間が稼げればそれでいい。あの人に真相にたどり着く時間を与えてはならない。
 今度はあの時のようにはいかない。今度は勝ってみせる。


机の上に箱を鎮座させたまま、ケイトと伯爵は互いに相手が口を開くのを待っていた。プランタジネットの紋。今まさにこの地を征服せんとする大陸の一族の旗印。。
南に抵抗を続けるイングランドの者たち。それは誇張ではなくあまりにも遠い出来事だった。極論を言えば、彼らが大陸の民と闘っている間は、イングランドの脅威に晒されずに済む、という見方さえできた。
しかし、この木箱がこの北部丘陵に存在するとなると、事態は変わってくる。この地にも危機が及ぶかもしれない。いや、確実にそうなるだろう。
ケイト。伯は語りかけた。この箱を持って城を出なさい。この箱が誰かの手に渡ることがないように。


先生はさっきからずっと城の中を歩き回ってばっかり。私は一応身の安全のためについていってはいるけど、実際どれほど頼りになるんだか。
「広いね。思ってたよりずっと広い」
「それを確かめにわざわざ歩き回ってたんですか?」
「まさか、ちゃんと頑張ってるよ。こう見えても僕は根は真面目だからね」
根は真面目って、真面目に見えない自覚はあるってことか。
「例えば、分かったことが一つ」
「何ですか?」
「この城は広い」
「さっき聞きました」
やっぱり何も考えてないのか。
「こんなに広いんだから、何か隠されていたら簡単には見つからないだろうね」
「え?」
「本当に大事なのは、この城自体じゃないかな」
先生のつぶやきが城の高い天井に吸い込まれていった。


 こんなことなら来なければよかった。まさか彼女の予想した通りの結末になってしまうなんて、何たる皮肉。
 しかし計画を止めるわけにはいかない。立ち止まってはすべてが水の泡だ。同志の死を悲しむよりやるべきことがある。
 常に感情を押し殺す稼業はこういうとき不便だ。最も悲しむべきことは悲しむべき時に悲しめないことだ、というのは誰の言葉だったか。心の中は自分でも不気味なほど平静で、それが狂気の証明にも思えた。
 本来ならこんな騒ぎも起きず、静かに目的を達成できたはずだった。人が死ぬなんて、そんな話は聞かされていない。あくまでもついて来るだけだと。
 それとも、こういう事態になることを最初から予期していた?
 とにかく、後で少しかまをかけてみようか。疑うわけではないが、あれは何を考えているか分からないところがあるから。
 しかし一方で、それは見当違いな心配ではないかという気もする。怪しむとしたら、もう一人の方だ。いくらなんでも偶然が過ぎる。第一発見者を疑えというではないか。
 ついつい疑心暗鬼に陥りそうになってしまう。疑いばかりが膨らんでも何も変わらないというのに。
 冷静に考えて、内部の人間ではリスクが高すぎる。各人の行動を予測できるわけはないのだから。そんな状況で少なくとも計画的犯行というのはあり得ない。
無理やり内部犯の可能性を消す。疑いを抱いたまま大仕事はさすがに嫌だ。
この計画だ。これさえ終えれば、何に縛られることもない。
 こんなことをした人間にはその報いを受けてもらおう。




(続く)

小説 『As A ……』 第参回

「起っきや~!今日はお城やで~!」
「う~ん、もう朝ですか?」
「朝も朝、午前三時よ」
それは朝じゃなくて深夜だ。
「ほら、日本ではもう昼やで、はよ起きんと」
「はあ、元気ですね、水木さんは」
ひとつ注文できるならその元気は私を起こす以外のことに使ってほしかったけど。
寝ぼけた頭を振って窓を開けて外を見ても、やっぱり暗いだけで何も見えない。町の明かりがないのは、イギリスならどこでもそうなのか、それともこの町が特別なのか、一応先進国だから電気は来てるだろうけど、観光地なりの遠慮があるのかもしれない。どちらにしろ、本当にとんでもない時間に起こしてもらったものだ。
「……優菜、大丈夫かい、助けに来たよ、ドアを開けてくれないか」
もう一人元気な人がいた。こうなったら二人の元気を別のことに活かす方法を真剣に考えた方がいい気がする。
「先生、もう起きてたんですか」
「昨日は君が心配で一睡もできなかったよ。だから眠れないついでに『パラサイト・イヴ』でも読もうと思ったら」
「って何でやねん!」
さすが関西人、ツッコミがするどい。
「何で今更『パラサイト・イヴ』やねん!」
そっちですか。
「いや~、海堂ブームに乗り損ねちゃったんだよね」
「何でそこで瀬名さんやねん。森博嗣とかおるやろ」
ごもっともな意見だけど、それをやってると話が前に進まない。
「読もうと思ったら、何なんですか?」
「そうだったそうだった。読もうとしたらこんなものが挟まってたんだよ」
そう言って先生は折りたたまれた紙を取り出した。子供の字で「お母さんへ」と書かれている。端には「お母さん以外の人は見るな」とも。
「きっとこの本の前の持ち主が残したダイイング・メッセージだよ。今わの際の気迫が伝わる書体だ」
「いや、どう見ても子どもが書いただけやろ」
そう言いながら水木さんは手紙を開こうとする。
「って、『見るな』って書いてあるじゃないですか」
水木さんはチッチッチッと指を振り、
「お母さん以外の“人”は見るな、やろ。今まで隠してたけどウチは実は……」
もったいぶるように息をつめて、
「未来人か、宇宙人か、異世界人か、そうでなければ超能力者やねん」
「全部人ですよ」
「……まあ、超能力者のことを英語でビッグ・マザーとも言うしな」
言わない。
「やれやれ、水木君はプライバシーの観念がないから困る。この手紙を書いた女の子の気持ちも考えたらどうなんだい」
「先生、何で書いたのが女の子だって知ってるんですか」
「えっ、そ、それは……」
「表だけ見ても書いた人の性別までは分からないですよね」
先生こそプライバシーの観念を身につけてもらいたい。
「まあ、赤信号みんなで渡れば怖くない、誰も見てないから大丈夫だよ」
「そやそや、別に持ち主に怒られるわけでもないやろし」
「それでもだめです。悪いことは悪い」
「ならええわ、二人だけで見よ、な、センセ」
小学生か。

「ああ、めっちゃええ話やったわ。ユーナちゃんも読んだらええのに」
「絶っっっ対いやです」
「これを読んで生きる希望がわきました」
「それでも絶っっっっっ対いやです。て言うかあからさまに怪しいし」
二人はしつこく手紙を読ませようとする。そのしつこさを他のことに活かせないものか。
「その手紙、早く持ち主に返したらどうですか?」
「へ?」
「だから、そのお母さんっていう人にその手紙を届けたら?」
「あ、そうか。なるほど。賢いね、さすが優菜」
何で今まで気づかなかったのか聞きたい。
「でもあんまし意味ないような気もするけどな」
「どうしてですか?」
「な~んとなくや」
「先生、これ、どこで買ったんですか?」
「古本屋だよ、と言っても古書街のじゃなくて、百円均一のところだけど。最近見つけたんだ。学生から古本には前の人の引いた線が残ってたりする、って聞いたことはあったけど、まさか手紙が挟まっているとは思わなかったよ」
「でも古本ってどうなん?著者に印税入らへんのやろ。悪いとは言わへんけど」
「確かに問題もないではないけど、普通の本屋は増刷され続けてる本しか売れないからね、構造上。パラサイト・イヴなんて、決してマイナーじゃないけどそれでも普通の本屋ではあまり置いてないからね」
「それはそうかもしれんけど、やっぱり本は綺麗な方がええやん。どんな経緯で来たかもわからんようなやつよりは」
古本談義をするのが目的じゃないんだけど。
「で、先生、とにかくその古本屋で買ったんですね。なら、この手紙を書いたのもその古本屋の近くに住んでる人ですよきっと」
我ながら完璧な推理だ。
「でも、この本を買った店は、いろんなところを回ってるんだ。だから、店の場所から絞るのはちょっと難しいかもしれない」
「そうですか……」
いい考えだと思ったんだけどな。
「中身には何かヒントになりそうなことはなかったんですか?」
「それやったら自分で見てみればええんちゃう?」
「……これはあくまでも、持ち主を探すため、ですからね」
本意ではないけど仕方なく見せてもらう。少女マンガ雑誌の付録の便せんだろうか。“SEARA”という文字と少女マンガ特有の顔半分がきらきらお目々(死語)の女の子が描かれている。本が古ぼけて茶色くなりかけているのに、手紙の方はほとんど紙質が変わっていない。
「この紙、割と新しいんじゃないでしょうか。だって、まだきれいだし」
「ユーナちゃん、少女マンガとか読まへんやろ」
いきなり指摘される。確かに詳しくはないけど。
「“せあら”言うたら『ベイビィ★LOVE』やないか」
「何ですかそれ」
そう答えると、水木さんは大げさに胸を押さえ、
「こ、これがゆとり教育の脅威かっ」
いや、少女マンガの題名を知ってる方が教育としては脅威だと思うけど。
「でも、それがどうかしたんですか?」
「『ベイビィ★LOVE』の連載は1999年に終わってるんや。雑誌の付録につくとしたら少なくともそれより前、っちゅうことや」
「ちなみにこの『パラサイト・イヴ』は第四版、平成九年に出たようだよ」
「つまり、この女の子は2000年までには字が書けるくらいの年になっとった、ってことや」
なるほど、そうするとこの手紙を書いた人はもう学生、もしかしたら成人してるかもしれないわけだ。十年近く前の手紙なんて、覚えていても見たいとは思わないかもしれない。
「それに、こんな便せん使う女の子が『パラサイト・イヴ』っちゅうのもおかしな話や。お母さんも一回目を通して、何とはなしに挟んでそのまま忘れた、っちゅう方がまだしっくりくるわ」
「でも、その便せんを手に入れてすぐに手紙を書いたとは限らないじゃないですか。もしかしたらその女の子にはお姉ちゃんがいて、お姉ちゃんから便せんをもらったのかもしれないし。じゃないと本だけ傷んでて手紙はきれいなままな説明が付きません」
そう反論してみても、私の不利は変わらなかった。水木さんの言う通り、これを書いた女の子も、書かれたお母さんも、この手紙のことはもういいのかもしれない。手紙がきれいに残っているのも、集英社が付録に対して真摯な態度で臨んだ結果なのかもしれない。
 でも、もしこの手紙がお母さんに届くことなく間違ってここにきてしまったのだとしたら?私たちにはそれをちゃんと届ける責任があるんじゃないだろうか。
「だいたい、もし持ち主を見つけたとして、どうするつもりなん?『手紙挟まってましたよ』とか言うん?」
「それは……」
「人のもん勝手に見るだけならまだしも持ち主探すやなんていくらなんでも首突っ込みすぎちゃう?」
そうかもしれない。いや、そうなのだろう。これに関しては水木さんの言ってることの方が正しいのだろう。やってることは五十歩百歩であんまり変わらないけど。
「二人とも、そろそろ朝ごはんの時間だよ」
先生はこんな空気でも自分のペースを崩さない。元はと言えば先生の本が原因のような気もするけど。
 私たちは朝ごはんを食べるために階下に降りることにした。

 ホテル“イーストサイド・イン”の一階はちょっとした食堂になっている。今日もヘーゼルさんは忙しく働いている。観光局の人ってこういう仕事までしなくちゃいけないのだろうか。
「この“イーストサイド・イン”は今年で五百周年。みなさんにはナポレオンも愛したと伝えられる銘茶“ブラック・タン”を召し上がっていただきます」
ヘーゼルさんが巨大なティーポットから液体を注いで回る。
「うわ、結構濃い」
「ところで紅茶といえば、緑茶と紅茶の違いって知ってるかい?」
「緑か紅かでしょ」
「その色の違いってどこから来るのか知ってるかい?」
そう言われてみれば知らない。何でなんだろ。
「そんなん、緑の葉っぱと紅の葉っぱがあるに決まってるやん。リンゴやって二色あるやろ。それと一緒や」
水木さんがこともなげに言う。そういうものなのだろうか。
「いや、葉っぱは同じだよ。発酵のさせ方が違うだけなんだ」
「へえ。そうなんですか」
先生には悪いけど、知ってもあんまり得しない情報だ。
「じゃあアールグレイの緑茶があるんか、玉露の紅茶があるんか?」
「それは聞かないけどね」

お城に行くまでにまた長いあいだバスに乗らないといけないのか、と思ったら、どうやらお城へは歩いて行くらしい。
「たいへん申し訳ないのですが、昨日のバスはちょっと調子が悪くて、みなさんには歩いて頂かないといけなくなってしまいました。あ、でも、すぐそこです。だからご安心ください」
ヘーゼルさんが心底残念そうに謝る。もっとも、残念なのは町じゅうの店を紹介しながらゆっくり運転するという楽しみがなくなったからなのかもしれないけど。
 ヘーゼルさんの手には「GTO」の旗。旗で案内するのは万国共通なんだろうか。
「その旗は何なんですか」
先生が尋ねる。ヘーゼルさんはよくぞ聞いてくれましたというように、
「こちらの旗はグッタペルカ観光協会公認、耐水、耐熱、抗菌の特製案内旗、“Frag-gile”です。『GTO』は『Gutta-percha Tourism Organization』の略です。こちら側の面にはグッタペルカのシンボルであるアカテツをイメージした文様がデザインされています」
と裏返してみせると、熱帯の木っぽい模様があしらわれている。
「この旗ですが、こちらの『よろずやグランマ』で好評発売中です。黄色、赤、鶯色、鶯色、鶯色、茶色、白の計五色。旅の思い出に是非!」
鶯多っ!
「そうですね、曜日別に七つ買っていかれる方が多いですね」
「じゃあ僕も買おうかな」
これはバスに乗ってた方がよかったんじゃないか。ものすごい無駄遣いの予感が。
「これ、トマス・モアの使ったといわれるタイプライター、いかがですか?これさえあればあなたも今日から大文学者ですよ」
ヘーゼルさんは早くも次の商品の紹介に移る。先生は熱心に聞き入っている。
「だってさ優菜。買ってもいい?」
「だめ」
先生の眼がうるむ。
「だってトマス・モアだよ。十六世紀の有名人ランキングで栄えある一位(当社比)だよ」
「何で十六世紀の有名人ランキングで栄えある一位(当社比)の人がタイプライターなんか使うんですか。タイプライターは十九世紀の発明品ですよ」
「全盛期のトマス・モアなら羊一匹からパソコンと洗濯機と自動小銃とドリームキャストとジンギスカンくらいなら作れた」
「無理だから。できてジンギスカンだから」
「ヒツジマスター・トマスに不可能はない!」
そんなにすごい人なんだ、トマス・モアって。
「というわけで、いいよね」
「だめです」

結局先生は私がだめと言ったにもかかわらず山のようにお土産を買い、(特に三角ペナント、あんなに買ってどうする)一行は今回もたいして長くもない距離を大した時間をかけて歩いた。ちなみに私はというと、旅先特有の放漫経済に陥ることもなく、人数分の十二色ボールペンだけという最小限の買い物で済ませた。お土産に困った時は役に立つのがこういう実用的な品だ。
「ユーナちゃん何買ったん?」
「これが十二色ボールペンで、こっちが十二色ボールペンお徳用、こっちは時計型十二色ボールペンです」
「……そ、そうなんや……」
「水木さんは何買ったんですか?」
「ウチはこういう時は荷物増やさへんように帰るギリギリで買うようにしてるんや。そやから、お土産が何になるかは関空に着いてのお楽しみや」
それは普通お土産とは言わないような。

「皆さん、御覧ください。これがレイジンハート城、またの名を“魔王城”」
ヘーゼルさんの指の先にはツタに覆われた、いかにも西洋のお城然とした(西洋だから当たり前だけど)巨大な石造りの門と、水をたたえたお堀みたいな水路。日本の観光地みたいな案内板とかはなくて、本当にそこだけぽっかりと昔の時間が出現したみたい。
「こちらで皆さんの荷物を預からせていただきます。一応城内は文化財ですので」
なるほど、さすがに城の中で無茶苦茶されたらかなわない。私たちは荷物全部を城の前のあずまや(みたいなもの)のロッカーに預けた。鍵はヘーゼルさんが持っているということらしい。
「荷物ってこれもですか」
「もちろんです」
庄屋さんの水筒も例外なくヘーゼルさんの手に渡る。
「それでは、おーぷん・ざ・げ~~と」

 私たちの目の前で門が開く。映画か小説みたいにギギィーって音がして、水路の上に橋が渡される。もしかして何百年も前のをそのまま使っているんだろうか。きしむ音と同時にパラパラという崩れるような音が聞こえてくる。
「こちらの橋は昔は人力で動かしていました。観光局が改修して現在では門と連動して電気で動くようになっています」
ヘーゼルさんは解説しながら中に入っていく。私たちはちょっぴり恐る恐る橋に足を掛け、(もちろん先生は例外。躊躇を知らない人だから)城壁の中へ入った。
 城壁の中は陳腐な言い方だけど、荒れ果てた古城って感じだ。ところどころ崩れかけた石の壁には年月の重みが染みついている。もしここで地震が来たらここにいるほとんどの人は即死だろう。イギリスだし大丈夫だとは思うけど。
「それでは門を閉じますので、ちょっと離れてください」
ヘーゼルさんがそう言うとすぐに門がさっきと同じような音を立ててしまっていく。同時に橋も上がって、外は完全に見えなくなった。

 ヘーゼルさんの案内に従って城の中に入った私たちが最初に見たのは、それこそ映画なんかでよく見るような極端に長いテーブルだった。
「どうぞ、おかけ下さい」
声に従って全員が椅子に座る。
「みなさん、ようこそ“魔王城”へ」


 懐かしさというのは不思議な感情だ。僕たちが懐かしさを感じるとき、それはもちろん過去の記憶を思い出させるような体験に出会ったときなんだけど、時々それは思いもしない形で現れる。不思議なのは、自分の記憶の中のものに反応して感じるはずの懐かしさなのに、それを予想することはできない、ってことだ。
 僕は君のことを覚えてたつもりだけど、それでも君の何気ないしぐさの一つ一つが僕を過去へといざなう。
 君にはまだ言ってなかったかな、僕たちがここにいるわけを。昨日は君が部屋に押し掛けてきたとか言って、ずいぶんと怒っていた“茶々丸”だけど、僕は久しぶりに彼女のあんな顔を見せてもらった。君は僕らのやることにずいぶん不安がっていたそうだね。でも君が心配するようなことはない。僕たちがここに来た理由は他でもない、この城の中にあるのだから。
 もうすぐ君も見るだろう、僕らの手によって明らかになる、この城の秘密を。



 プレヤード伯の城には例にもれず領内の様々な奇品珍品が集まっていた。それを眺めるのが、一年のほとんどを城の中で暮らす身にとっては最も気楽な趣味だった。
 ケイトは唯一の友人と呼んでも差し支えないくらいにこの孤独な男の話相手をよくつとめていた。そしてこういう趣味を持つ人間に特有の過剰な饒舌さに対して、適度な反応を返して見せる能力において、極めて優れていると言ってよかった。良い生徒であることは、良い教師であることと同じか、それ以上に難しい。
 ケイトはよく奇妙な品々にまつわる曰くを聞かされた。大陸にいるという火を食らう鼠や、海に浮かんだ町、この世のどこかにあるというそれらの怪奇を見て来たかのように語る男は、もはや自分の目では見ることのできない世界を、彼女を通して確かめようとしていた。
 「フラ・ダ・リ」という図形を知っているかな? 彼の話は大抵こういった質問から始まる。ケイトは良い生徒であったから、そこであえて答えるようなことはしなかった。これは一種の儀式であり、答えは重要ではない。
 近くにあった紙をとり、図案化された花を描く。これなら見たことがあるだろう? ケイトは頷いた。それでは、とプレヤード伯は言った。これはどうだ?
 金雀枝。プランタジネットだった。大陸から現れ、南方を支配下に置いた家系。すでにこの島の半分は彼らによって征服されたという。そして彼らのシンボルが金雀枝である。
伯は机の上の流麗な細工の施された小さな木箱を開いた。箱の上面には金雀枝の紋章。中に入っていたのはそれと同じ紋章が刻まれた、琥珀色の宝石。伯は静かに語り始めた。



(続く)

小説 『As A……』 第2回

意外にも(失礼)出てきた料理はおいしかった。聞くと、目の前に並んでいるたくさんの料理は全部ヘーゼルさんが作ったらしい。バスを運転したり料理を作ったり、まさにヘーゼルさまさまだ。
「相変わらずセンセは食べ物のことになると素早いな。もうちょっと味わって食べたら?」
「食在戦場。食は戦場に在り。食べるってことは戦いなんだよ」
ちゃんと物を飲み込んでからしゃべるようになったのは進歩だけど、たぶん先生の頭の中では「常在戦場」と「食は広州に在り」がごっちゃになってるだけだと思うよ。
「すいません。ちょっと、ここ、いいですか?」
「あ、どうぞ」
声をかけてきたのはスーツ姿の大柄な男の人だった。片手にはストロー付きの水筒みたいなものを持っていて、しょっちゅうそこから何かを飲んでいる。
「お兄さん、ここ来てもええけど、この食欲魔人のせいでほとんど残ってへんで」
「それは大丈夫です。向こうでいっぱい食べてきましたから」
指した先には空皿の山。あれを平らげてまだ食べられるとは、この人も先生といい勝負かもしれない。
「申し遅れました。私、お庄屋さんの庄にお庄屋さんの屋で庄屋と申します」
「まどろっこしい自己紹介やな。ウチは水木杏奈。そこで食べ物にバクついてんのが月見里センセ、隣に座ってんのが娘の優菜ちゃん」
「ちなみに僕は教授です」
先生がすかさず付け加える。それって絶対に言わないといけないことなのだろうか。
「するとあなたがあの有名な月見里教授ですか。お噂はかねがね伺っております。回文を操るロボットをおつくりになったとか」
庄屋さんは片手で水筒を、片手で先生の手を握って熱く話している。
「私は教授のお書きになった本は全部もってます。『リモコン子守り』『Cray Rome Memory Arc』『眺めて魔眼』……。教授の回文に対する貢献はノーベル賞ものだと思います。おそらく近い将来教科書には教授の回文が並ぶでしょう。間違いなく」
「いやいや、僕もあなたのような人と出会えて本当に良かった。日本ではまだ広く認知されているとは言い難いですからね、この面白さを伝えていくのが僕たち回文研究家の崇高なる使命。世界中にこの言語芸術を布教、もとい普及させましょう」
先生も目をアツく輝かせている。男のロマンというやつがあるのだろう。
「というわけで、教授のサインを頂けたら……」
「もちろんです」
先生は懐からサインペンを取り出し、手の中で一周させて見せた。というか常備してたんだ、サインペン。
「いや~、これ、もう家宝にしますよ」
「それがいいでしょう」
先生はちょっと褒められて調子に乗っている。わかりやすい人だ。
 庄屋さんは何かに気づいたように目線を移動させると、その先にいる少女に声をかけた。
「古手氏、古手氏、こっちですよ」
「庄屋クンはまだ食べているのですか?」
袖なしのワンピースにおかっぱ頭。寒くないのだろうか、真夏のような麦わら帽子を抱えている。
「人さまの所へ行ってまで食べるなんて、どういう料簡なのですか?」
「いや、それは誤解で、この月見里教授は、それはそれは有名で権威のある教授先生なんです。だから、かねてから教授を私淑していた僕は、教授の謦咳に触れようかな~、なんて思ったりして」
「どうもうちの庄屋がご迷惑をおかけしまして。お詫びと言ってはなんですがこれを」
「聞いてます僕の話?ていうか古手氏もその帽子の中の料理、立ち食いじゃないっすか」
どうやらこの古手氏なる人物、庄屋さんの知り合いらしい。大きな麦わら帽子から取り出されたものに先生は興味津津。
「あ、ここ、どうぞ」
私は古手さんに自分の隣を指し示した。
「それでは、お言葉に甘えて、失礼するのです」
なんだかどこかで聞いたようなしゃべり方だ。
「新種のウイルスか何かですか?」
「???」
……まあ、いっか。
 私と水木さんは軽く自己紹介をした。古手さんもそれに倣う。
 先生と庄屋さんは料理に口をつけながら(&庄屋さんは水筒にも口をつけながら)回文談義に花を咲かせているけど、私たちはもう食べるものも食べたし、かといって向こうみたいに回文で楽しむというわけにはいかない。自然私たちの話題は明日の城のことになる。
「先生が……あ、月見里教授が、“魔王城”だとか言ってましたけど」
「この科学万能の二十世紀に魔王やなんておるわけないやん」
「今は二十一世紀なのですよ。それに“水木杏奈”なんていかにも魔王の出そうな名前なのです」
「どんな名前やねん」
「あれなのでしょう、あなた、てれび戦士の……」
「それは“白木杏奈”や」
訂正。話題は明日の城を通り越して迷走しだした。
「そう言えばひぐらしの実写版にも元てれび戦士が出てたわ。誰やったっけあれ」
「これ以上前田公輝君をいじめたら……どうなるか分かっているのですか?」
古手さんがどす黒いオーラを放っている。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「せっかくイギリスまで来たんですから、そんな嫌な事件の話はやめませんか」
それとなく制止してみる。
「そやそや。ユーナちゃんの言うとおり。もっと英国貴族的な話をせんと」
「でも、私たちは英国貴族ではないのですよ」
「英国貴族やなかったら英国貴族的な話をしたらあかんなんて法はないやろ」
英国貴族的な話って平民でも簡単にできるものなのだろうか?
「そう言えばウチの友達に『けいおん』のCD二枚とも買った子がおってな」
全然英国貴族的な話じゃない気がする。
「毎日聞いてたらそれ聞かへんと寝られへんようになったらしい」
「それで、どうしたのですか」
「そやから言ったったんや、桜高軽音部の曲聞かんと寝れへんなんて、これがホンマの“sakura-addiction”やな」
「……くっだらないのです。関西弁をしゃべりながらこんなくだらない話しかできないなんて、詐欺もいいところなのです」
「な……、何やそれ、いろんな関西人がいてもええやないか。アンタ関西人は全員お笑い好きやと思ってるやろ。あんなんテレビで初対面の人に『バーン』ってやられて倒れる振りすんのはごく一部やで。大多数の人間はつつましやかに生きてるんや」
英国貴族がこんな話してたらロンドン塔に幽閉されてもしょうがない。
「ま、そんなくだらない話をしている暇があったら、関西を元気にする方法でも考えることなのです」
水木さんの目が怪しく(妖しく、ではなく)輝く。
「ウチが温めとった超ド級プロジェクト、今ここで発表したろやないか」
立ち上がり、存在しないホワイトボードに腕を叩きつける。
「谷崎の不朽の名作がついにそのベールを脱ぐ!“こいさん!”」
「……安直なのです。とりあえず京阪神出しとけみたいな単純な考えがありありと見えるのです」
「安直やろうと何やろうとが、画面に出しさえすれば後は聖地巡礼→経済活性→幹部昇進→支部長就任イイ感じ~、阪急乗る人おけいはん、や!」
支離滅裂過ぎて何が何やら。
「それだけでは終わらんで~。“こいさん”のパジャマに筆箱、自由帳。町じゅうに細雪ごっこをする小学生女子の声がこだまする日も近い!」
「地獄絵図、なのです」
「そしてあわよくばウチの母校をちょっとだけ出して某T小的に有効活用!」
「時代背景を超越しすぎなのです。そんな時間感覚のないアニメは御免なのです」
だいたいあの小学校はアニメに出ても出なくても最初から保存されるはずだったんでは?
「ウチの学校は明治時代から今もずっと続いてるんや。今でも時々大文字駅伝に出たり……」
「何でまだ続いてる学校を保存する必要があるのですか」
「・・・」
水木さんは答えない。というより答えようがない。あまりにももっとも過ぎるツッコミ。
「いや、けど、小学校が百年も続いたら大したもんやで。百年あったら四代、下手したら五代は通えるってことやし。ていうかそこまで続いたらもう最初の頃のことなんて覚えてる人もいいひんようになってるってことやろ。建物やって変わるし。中の人も外の建物も変わったんやったら、続いてんのは何なんやろな」
「そんなことを言い出したら、人間を構成している物質なんて六日で全部入れ換わると聞いたことがあるのです。だから、やりたいと思ったことはその時にやったほうがいい、とも」
いきなりずいぶんと話が飛んだ。
「あれやろ、今はやりの“動的平衡”とかいうやつやろ。そういう意味では小学校も生き物ってことやな。幼稚園児保育園児を食べて、中学生を排出する。餌の子供が減ったら統廃合で共食い」
「あんまりぞっとしない表現なのです」
そりゃあ小学校がそんな肉食動物みたいな扱いされたら
「排出物扱いは嫌なのです」
そっちか。
「まあ、学校自体が一つの生き物、という考え方はさっきの話に比べればまだ面白いのです。ありきたりな表現なのですが、日本人はずっと動かないものには神を見るものなのです。ご神体なんて、大体木とか石とかなのです」
「それに何かそういうとこってめっちゃ閉じてる感じせえへん?神社やって普通森ん中とか奥まったとこにあるやん。ウチの通てたとこも北側は森みたいに木ぃばっかりやったし、立地条件自体、変なとこやったわ。南向きの斜面を削って平らにしたみたいでな、南側は地面がおんなじ高さのとこにあんのに、北側の道路は校舎の屋上くらいの高さがあって、校舎の北側は崖みたいになってるんや。やっぱり学校も守られるように建ててあんにゃな」
「当たり前なのです。学校がうぇるかむあんのうんだったら危なくてしょうがないのです」
「そやなくて、だから生き物になる余地っていうか、そういうのがあるってことやんか」
「でも私の通ってたところはそんなに周りから断絶してはいなかったんですけど」
一応会話に参加してみる。
「どんなとこやったん?」
「道があって、その北側に校舎、南が運動場っていう。高校ですけど」
「高校か~。高校は高校で独特の空気があるからな、何とも言えへんけど、どうなん、やっぱり雰囲気はあるやろ。外との温度差って言うたら変やけど、見えない境界みたいなもんが」
「うーん、無くもないような……」
つい二三年前のことなのに、ずいぶんと遠く感じる。
「そう言えば何かで読んだんやけど」
「またくだらない話なのですか」
「人の話は聞く」
「……分かったのです。聞いてやるのですただし」
一息ついて
「もしくだらない話だったら……」
あとを聞くのが怖い。
「もしタイムトラベルができて好きな時代に行けんのやったらいつの時代に行きたい?」
「?」
「そやから、そういう質問やんか」
「それって、青春時代とかですか?」
思いつくままに一つ上げてみる。もちろん、私は青春時代に“戻る”ことはできないけど。
「・・・」
停止する水木さん。何かまずいことを言ったのだろうか。
「まさか、それがオチだったのですか」
「あ、ご、ごめんなさい」
「ええよ、ユーナちゃん。どうせウチなんて関西弁をしゃべる資格のない人間や……」
「あの、別に、私は面白くないと言ってるわけじゃ」
どうしよう。何だか、すごく悪いことをした気分。
「大丈夫ですよ。水木さんの話、十分面白いですって。だから自信もって」
「ほんでな、江戸とか平安とか自分の生きてへんかった時代に行きたいって言う人は未来志向で、自分の生きてた時代に生きたい人は過去にとらわれるタイプなんやって」
「水木さんはどうなんですか?」
「そら夢の幕末に行くに決まってるやん。でも大正ロマンも捨てがたいしな……」
「昔の自分に戻りたいとは思わないのですか」
古手さんの疑問に対しては、
「そんなん思うわけないやん。昔を思い出して喜ぶなんてええ年したおっさんのすることや」
「過去に何かあったのですか?」
「ま、過去が好きな人ばっかりでもない、ってことや」
そんなものなのだろうか。バスの中でウノやってた時は結構楽しそうだったのに。
「すいません、お話し中のところ申し訳ないんですが、そろそろホテルの方に向かいませんと」
ヘーゼルさんが私たちに声をかける。長いことしゃべっていたみたいだ。先生も今話を終えたところみたいで、庄屋さんと熱い抱擁を交わしている。
 ヘーゼルさんを先頭に、私たちはバスへ向かった。

 行きは永遠に続くかに思えたバスの旅も、ホテルまでは十分くらいだった。さすがのヘーゼルさんも疲れてしまったのかもしれない。
 さっきまでは活発にしゃべっていた先生や水木さんも今は静かに座っている。
「あちらに見えますのが、本日皆さんに宿泊していただく、ホテル“イーストサイド・イン”です」
来た時も紹介していた建物だ。周りが暗いとだいぶ印象が違う。一言で言えば、昼間見た時より派手だ。ネオン管、というのだろうか、色とりどりの電飾は城下町風情というよりもうちょっと雑然とした街に似合いそうな感じだ。
「このホテルはグッタペルカの中で唯一の観光局公認多目的宿泊施設にして、現在稼働している唯一の宿泊施設です。見た目はあれですが、内部は快適ですよ」
ド派手な紫の光の輪っかの中に、“EASTSIDE Inn”の文字が点滅する……輪っか、紫?

 確かにヘーゼルさんの言葉には嘘はなくて、外装からは想像できない落ち着いた室内だ。私と先生、そして水木さんの三人で二部屋に分かれることになったんだけど、そこでひと悶着あって、
「センセみたいな人がいたいけな女の子の寝室に入ってこんといてもらえる?ユーナちゃん、男はみんなオオカミや、気ぃ許したらあかんで」
「僕がオオカミなら水木君はフェンリルだよ。寝てる間に頭から丸のみだよ。明日お腹の中から出てくることになるよ」
赤ずきんちゃんかい。
「じゃあ、私は一人でいいから二人で寝たら……」
「嫌」
「僕だって、嫌だ」
埒が明かない。というか私はとにかくさっさと寝たいんですけど。
「こうなったらコイントスで勝負や。このコインを投げて、表やったらウチがユーナちゃんと一緒の部屋で寝る。裏やったら、センセに譲るわ」
「いいとも、望むところだ」
コイントスって片方がコインを投げて、コインが空中にある間にもう片方の人が表裏を宣言するんじゃなかったっけ。別にいいけど。
 というわけで水木さんがコインを投げる。そういえば来る時に言ってたけど水木さんって確かものすごくこういうゲーム強かったんじゃ……先生は勝てるんだろうか。
 そんなことを考えているうちにコインは水木さんの手に。今コインは水木さんの手の中にある状態。ここでコインが表だったら水木さんの勝ちだ。ゆっくりとどけた手の下には
「表や。残念やねセンセ。これで今夜一晩ユーナちゃんはウチのもんや」
「って、これ、両方とも表じゃないか!」
「悪いけど、そういうコインやねん。それに、さっきちゃんと言うたやん。“このコインを投げて”って。その時確認せえへんセンセも悪いわ」
私の運命がこんな不公平不公正なプロセスで決められていいのだろうか。世の中そんなものなのだろうか。
「夜は長いで、覚悟しいや。今夜は寝かさへんで~」
「寝ますよ」
一日で極東から本初子午線近くまで来たんだから正直疲れてしまった。かなり眠い。
「じゃ、お休み、センセ」
「優菜、朝になったら絶対助けにいくからね」
本当に助ける気があるのか疑問だ。

 ベッドはふかふか、床はすべすべ、ここならぐっすり眠れそうだ。
「じゃあ、おやすみなさい」
「はいはいおやすみ~、って、何でやねん!」
「だって眠いし……」
「さっきの話聞いてへんかったんか。今夜は徹夜や、夜を徹して遊ぶんや」
手にはやっぱりウノのカードが握られている。他にやることないのか。
「一人でやってたらどうですか。私は疲れたんで」
そう言われた水木さんは眼に涙を浮かべて
「そんな殺生な……、一回だけ、一回だけやし。一人でウノやなんて淋しすぎるわ」
「二人でもそんなに楽しくはないと思いますけど」
「淋しさも二人で分け合えば半分やろ。人助けやと思って、な、お願い」
「そりゃあ水木さんは楽しいかもしれませんけど、私は負けてばっかりで楽しくないんですけど」
水木さんの眼はますますうるうる揺れている。ここで「ま、一回くらいいっか」なんて思ったら相手の思うつぼだ。私は冷たい視線でそれを退ける。
「……もうええわ。ユーナちゃんがそんな冷たい子やとは思わへんかったわ。ウチがこんな淋しい思いをしてんのにそれを見捨てるなんて。世知辛い世の中や」
あきらめてくれたらしい。寝よう。
「……世知辛い、世の中や」
私は世知辛い世の中に別れを告げつつ瞼を閉じた。


「来てくれると思っていたのですよ、“アザミ”さん」
何年かぶりに呼ばれた名。全身が浮き立つような強烈な懐かしさに襲われる。いつからか忘れ去っていた感情。最も根源的で、最も凶暴な情動。
あの頃の自分は今のようではなかった。あの頃運命は自分の手の内にあるとすら思えた。あの全能感と高揚が体の中で確かな記憶としてよみがえった。
でも、違う。もはやそれがまやかしだと知ってしまった。手の中にあったと思っていた運命が、自分の手の届かないところにあるということはあの時証明されたのだ。あの敗北によって。
「ウチはもう“アザミ”とちゃう。それはあんたらも知ってるはずや、“茶々丸”」
「では何と呼べばいいのですか」
「杏奈様、でええ」
“茶々丸”は部屋付きの寝巻の袖を余らせながら大げさに肩をすくめて見せた。
「では、杏奈様」
「……やっぱり杏奈でええわ」
「杏奈さん、一体何の用なのですか?もちろん旧交を温めたいというのなら歓迎するのですが」
「ウチの記憶では温めたくなるような旧交はなかったはずやけど、まあええわ、旧交ついでに聞きたいことがあってな」
「そうだったのですか。そういうことなのでしたら、プライベートに触れない限り、どんなことでも答えてあげるのですよ」
淡々と答える様子を見て、自分の心配が的外れなものなのではないかという疑いが首をもたげてきた。心配したようなことは起こらない。その可能性を信じたい。何でもないと言ってこの場から立ち去ってしまいたい。
 でもそんなことをするのは無意味だと知っている。何も起きないはずがないのだ。何もない所に好き好んで集まるような集団ではない。
「何を、企んでるんや?」
「どうしてそういう風に思うのですか?」
「あの庄屋って、“庄屋殺し”やろ。ヘーゼルも確かハシバミのことやったはずや」
「もしかして、仲間に入れてほしいのですか、“アザミ”さん?」
微笑む。遠い昔にしたように。心蕩かすような笑みが楽しかった日々をよみがえらせる。もしかしたら、そういうことなのかもしれない。結局、自分は過去を捨てきれない。ずっと一緒にいられたらどんなによかっただろう。そう思っている自分が確かに存在する。
 でも、それはできない。あの人たちを巻き込むわけにはいかない。
「あんたら、こそこそ集まって何する気か聞いてんのや」
「それを聞いてどうするつもりなのですか?手伝ってくれるわけではないのでしょう?」
「手伝いはせえへんけど、内容によっては邪魔することになるかも知らん」
笑みの中に僅かに変化がよぎるのが見えた。予期していなかった返答に動揺しているのか。
「……なら、なおさら教えるわけにはいかないのですよ」
当然の答えだった。こんなふざけた話にはお似合いの。
「そやから、こうせえへん?ウチもあんたも相手の邪魔はせえへん。そのかわり相手に危害も加えへん。たがいに不可侵」
「最初からそれが言いたかったのですか。それならそうと一言で言ってしまえばよかったのです」
「やっぱりあんたの言うたとおりやったんかもな」
「どういうことなのですか?」
「旧交を温めたかったんかも知らん」
微笑み。さっきとは明らかに違う種類の。
「おやすみのキスはいりませんか?」
「……遠慮しとくわ」
やっぱりろくな旧交ではなかったけど。



(続く)

小説 『As A……』 第一回

 プレヤード伯は運命について考えていた。もっと具体的に言えば、自分の死期というものについて。
 彼の父も母も、謎の病に倒れた。使用人たちも体の不調を訴えてみな辞めていった。そして彼は、今やその父の年に近づきつつあった。若いころであれば、そんな迷信じみた話に心煩わされることもなかったのだが。
 彼はふと周囲を見回す。いつも通りの彼の部屋。石の壁を赤々と照らす暖炉の炎。足元には毛足の長い絨毯。石造りの城は冬ともなればかなり冷え込む。長い冬を越すためには、防寒対策は必須だった。
 だが、今はまだ九月だ。夏の短いこの国でも、そうは冷え込むことはない。かつてはアイルランドの方で冷害のために大飢饉が起きたこともあったが、今年はそういう話も聞かない。
 彼の背筋に冷たいものがよぎる。確か両親も死ぬ前はいつも寒そうにしていた。この地の気候のせいだと思っていたが、もしかしたらあれも病気の症状だったのかもしれない。そうだ。蒼い顔で、手を震えさせて。
「大丈夫ですか、マスター」
メイドの声に我に返る。くだらない妄想のせいでノックが聞こえなかったに違いない。そう、くだらない妄想だ。そう自分に言い聞かせて頭の中から振り払う。
「ん、ああ、大丈夫だ。どうしたんだ」
「ブランデーをお持ちしました」
 そうだった。自分で頼んでおいてすっかり忘れていた。そのことに少し罪悪感を感じつつ部屋の扉を開ける。
 ケイトは今やこの城の唯一の使用人だ。少なくとも彼の父の代からいたはずだが、彼の目から見ても彼女の年齢はよく分からなかった。もしかしたら彼女は年を取らないのではないかとひそかに疑っている。
「マスター」
「どうかしたか?」
「あまりじろじろ見ないでください」
彼は内心でしまった、と思った。またくだらないことを思い悩んでいたのか。彼はケイトに下がるよう指示して、ブランデーに口をつけた。最近はこれが欠かせなくなりつつある。
 かたかた……。奇妙な音が聞こえた。彼はその音が自分の持っているグラスから聞こえてくることに気づいた。さらに彼はその音が奇妙な懐かしさを持っていることにも気づいた。昔父親が同じようにブランデーを飲んでいた時。小刻みに震えるグラスがテーブルに当たる音。彼は自分の右手が震えていることに気づいた。彼の父親と同じように。
 石造りの城の中を歩くケイトの足音が遠くに聞こえた。


 ドアを開け放ったのは長い髪を腰のあたりまで垂らした、着物姿の女性だった。すらっと伸びた手足。微笑みに高貴さをたたえながら口を開いた。
「久しぶりやね、月見里センセ」
「久しぶりだね、誰だっけ」
先生の研究室にはいろいろな人が来る。もちろん先生が知らない人だっていっぱい来る。
「忘れたとはいわさへんよ、ウチはセンセに人生賭けたんやから」
「う~ん。記憶にございませんね」
そして先生の性格上、あまり会いたくない人もたくさん来る。
「はぁ、残念やなあ。せっかく手土産に名古屋名物のういろう持ってきたのに。記憶にないんやったらしょうがないな。持って帰って一人で食べよ」
「いや~、懐かしいな。水木君じゃないか。まあ座ってゆっくりして行きなよ」
相変わらず食べ物に弱い……。この適当な性格がたくさんの人を(悪い意味で)招き寄せるんだろうな。
「センセ、彼女にもちゃんと分けたげなあかんよ」
「あの……彼女じゃないんですけど」
私は一応訂正しておく。
「そうそう。優菜は僕の娘、英語で言うとdaughterなんだよ」
「へえ、ほんまにこんな適当人間からこんなかわいらしい子が生まれるんかいな」
「ふぉふふぁふぇふぃふぉうふぃんふぇんふぁふぁい」
「『僕は適当人間じゃない』って言ってますけど」
口にものを入れたまましゃべらないでほしい。
「ま、そこの適当人間はほっといて。ウチは水木杏奈。仕事はまあ、フリーのライターみたいなもんや」
「あ、戸賀優菜です。学生です」
「ほんでな、ユーナちゃん、お城行きたない?」

「それがな、『魔術少女イリーガルあずきエース』のDVD-BOXの初回特典の応募券を送ったら、何と六枚中三枚が当たって……」
「待て、何で同じものを六つも買う必要がある?確かに6は完全数だが……」
「保存用、鑑賞用に布教用やろ、それから転売用とか烏除用とか戦輪用とか……」
戦輪って、滝夜叉丸か。
「とにかく、十二時までに空港に着かなあかんから、できるだけ急いでな」
「って、今もう十一時ですよ!」
「心配せんでも、急いだら十分間に合うはずやし、さっさと用意しーや」
急いで用意って言われても……。
「水木君、そもそも僕たちは一言も行くなんて言ってないわけだが……」
「思い立ったが吉日、迷ってる暇があんのやったらさっさとする!」
というわけで私たちは急きょお城へ向かう羽目に……


イギリス北部、グッタペルカ。北部独特の丘陵地に立地した小都市。成立は古く、ローマ時代の歴史書にもそれと思しき都市が言及されている。大英帝国時代には植民地化した国々からの天然ゴムを利用した産業が発達。
レイジンハート城はグッタペルカの北東に位置するなだらかな丘の上の古城で、その歴史はグッタペルカの成立時にまで遡る。一帯を治める領主レイヤード伯爵家の居城であったが、その血筋が途絶えたのち、長いあいだ無人であった。現在ではグッタペルカの重要な観光資源の一つであり、また歴史的価値も高いとされている。他の古城同様、多くの伝承が残されているが、とりわけ有名なのは『魔王城』伝説であろう。
『魔王城』という不名誉な綽名を頂戴するに至った経緯の詳細は不明だが、その伝説のパターンは大きく三つに分類できる。
一つは、城主プレヤード一族が相次いで奇病に倒れた、というものである。病状、進行速度などは語り手によって様々で、水が沸騰するほどの高熱を発するというパターンもあれば体が氷のように冷えるというパターンも存在する。いずれの場合も、彼らの一族が魔王の怒りを買った、と説明されるが、稀に彼らが魔王だったとされる場合もある。
二つ目は、城を建てた工人たちが呪われる、というもので、曰く、石を切り出したせいで山の魔物が目覚めて人に災いをなした、と。一番目とセットで語られることが多いが、こちらの方が比較的知名度が低い。
三番目は、城のある北東側に住むグッタペルカの住民たちの間で同様の症状がみられた、というパターンである。プレヤード一族が魔王と同一視される場合は大抵この話が使われ、彼らの怨念が作用したと説明される。
これらの伝承はいずれもグッタペルカ周辺の地域にしか分布していないが、他の文献にも同様の記述が見られるため、ある程度事実に基づいていると思われる。
(C・クレット『北部略史』より抜粋)


懐かしいな。アザミの花を見るといつも君を思い出す。君はまさにこの花のとおりの人だった。美しく、そして、棘がある。
言葉にこそ出したことはなかったけど、君のチカラはみんなある種の尊敬の念を持って見ていた。君は自分のことを「運の尽き」だと言っていたね。それも的確な表現だったけど、僕たちはもう少し違った風に呼んでいた、「魔術師」と。
君とまた会えるなんて思ってもみなかった。君がいなくなってから長い時間がたったような気がするけど、君は相変わらず遠目にも美しかった。もうすぐ会いに行くよ。アザミ、僕らの魔術師。



「へくしゅ……ていうか寒っ!風冷たっ!!」
「まあイギリスは北海道よりもさらに高緯度だからね。気候も若干冷涼だね」
空港を出たところにあるバスターミナル。上にコートを羽織った先生が楽しそうに言う横で水木さんは体を震えさせている。手荷物レベルのものしか持ってきていない水木さんの手元には当然防寒具などあるはずもなく、この寒空の下、真夏みたいな着物姿で立っている姿は見てるこっちが寒くなってくる。
「ウチがここで凍死したら二人とも殺人罪で告訴したるからな……へくしゅ!」
死んだら告訴できないんじゃ……。
「あの……大丈夫ですか?寒いようでしたら服をお貸ししましょうか?」
そう声をかけたのはガイドのヘーゼルさん。グッタペルカ市の観光局の人で、日本語だけじゃなくてスペイン語とかリート語とかにも堪能らしい。真偽は分からないけど、少なくとも日本語は生粋の日本人並みに上手だ。
「ああ、助かったあ。ほんまに、どこぞの頼りない講師とは大違いやわ」
「頼りないとは何だ。頼りないとは。ちなみに僕はもう講師じゃなくて教授だ」
確かに先生も頼りないけど、水木さんもあまりしっかり者とは言えないような気が……。
「みなさんの乗るバスはこちらになります」
ヘーゼルさんが指差したのはロンドン名物、映画や小説でおなじみ、二階建ての真っ赤なボディ
「ではなくその向こうです」
はげかけた塗装にところどころへこんだボディ、窓ガラスには映画や小説でおなじみのクモの巣城のひび割れ……。
「ではみなさん、グッタペルカまで四時間のバスの旅を、どうぞお楽しみください」


 彼女は今でも、その時のことを正確に思い出すことができる。あの男が現れ、彼女の運命が回転を始めたあの時のことを。
 その男が彼女の注意を惹きつけたのは必然だった。彼女が意識的にこの場所に出入りする人の流れをとらえていなければならない立場にあったということを差し引いても。その男には違和感を覚えさせるという形容は適当ではない。あえて言えば、全身違和感の塊だった。ワイシャツは周囲からその姿を浮き立たせ、その眼は周囲を冷徹に眺めていた。早い話が、ここにいるべき人間ではなかった。
 困ったことになった。こういう場所はルールを知らない人に対してあまり寛容ではない。面倒が起こる前にそれとなく退出を勧めるべきだろうか。
 彼女がカードを繰る手を休め、腰を上げかけたその時、向こうが彼女の姿を認めた。その瞬間に分かった。この人は私を探していたんだ。同時におかしくもあった。この人は勝負事に慣れているようには見えない。おかしさを通り越して可哀想とすら感じられた。
「何のゲームにしはる?見ての通り、カードにルーレット、一通りそろってるけど」
「それ以外のでもいいのかい?」
「この中でできて、危険やなくて、運が絡むもんやったら何でも」
男はしばらく考えて
「腕相撲は?」
「アホか。大の大人が女子供相手に腕相撲はないやろ」
「冗談だよ」
男はもう一度考え始めた。これまでの挑戦者とは明らかに違う。勝算があって来たのではないのか? あきれるほどの無鉄砲さだ。
「決めた、勝負の方法は……」


「左手に見えてまいりましたのが、グッタペルカ名物、『よろずやグランマ』です。その隣は今夜皆さんに宿泊していただくホテル、『イーストサイド・イン』となっております」
グッタペルカ市に入ったバスはますますスピードを落とした。ヘーゼルさんは道々の商店を片っ端から紹介している。店の名前を言うときのヘーゼルさんは本当に楽しそうだ。でも残念ながら私たちはあまり楽しくない。
「ふぁあ、よう寝たわ」
「すごく幸せそうでしたよ。どんな夢を見てたんですか?」
「へえ、でもあんまし覚えてへんわ。それより、もう着いたんか?」
「いや、それがまだ……」
相変わらずヘーゼルさんの解説は続く。バスも慣れたもので、歩くぐらいのスピードで運転するからちっとも進まない。というのも解説している本人が運転しているから、自分のしゃべる速さに合わせて走らせればいいわけで。
「四時間と言ってましたが、この調子だと市内を通り抜けるのにまだだいぶかかりそうですね」
「そやったら、ゲームせえへん?どうせ暇やろ?」
懐から取り出したのは修学旅行なんかでおなじみのUNO。二人でやるゲームではないけど、退屈なのは山々だし、悪くはないかもしれない。
「いいですよ」

「え~っと、ドローツーが五枚にドローフォーで十四枚引いてもらおか」
「ひどすぎる……」
「スキップ、スキップ、ウノで上がり。これで十六連勝目や」
いくらなんでも強すぎじゃないだろうか。
「何かズルしてません?」
「さあ、どうやろな。まあ、十六連勝も十六連敗も絶対にないとは言い切れへんからな」
そう言ってはいるけど笑い方に悪さがにじみ出ている。
「これでもウチは昔は凄腕のギャンブラーで鳴らしたんやで。素人相手にはそうそう負けへん」
「って、凄腕ギャンブラーだったら何で素人相手にこんな大人げないことしてるんですか」
「いや、それがな、凄腕ギャンブラーとして鳴らしたことは鳴らしてたんやけどな、実際はイカサマがうまかっただけのことなんや。ほんまは大した運があるわけでもないし」
「じゃあやっぱりズルしてたんじゃないですか」
「まあ、それはそれ」
何だか納得できないんですけど。
「ともかく、往年のウチはほぼ負け無しやった。ポーカーにブラックジャック、バックギャモンにマリオパーティ。運の絡むもんやったら勝てへんゲームは無かった。でも、一回だけ負けてしもたことがあってな、それからはギャンブルもやらんと真面目に生きていくようになったんや」
「負けた……っていったいなんのゲームで」
「ほな、そろそろ着いたみたいやし、いこか」
見ると、バスはお城のレリーフの飾られた建物の前に止まったところだった。
「ここが観光協会みたいだね」
「うわ、センセ起きてたんかいな」
「僕は寝たい時に寝て、起きたい時に起きられる人間だからね」
それって要はぐうたらな人間ってことじゃないのかなあ。
「お待たせいたしました。こちらがグッタペルカ観光協会&市立博物館です。皆様方にはこちらで自由に見学していただき、六時になりましたら三階の食堂でお食事を召し上がっていただくという予定になっております。それでは、ごゆっくりお楽しみください」
ヘーゼルさんの案内に従って私たちはバスを降りて博物館(兼観光協会)に入った。展示物は抽象画だったりゴムを練る機械だったりとあんまり一貫性がない。小さな博物館だからなのか、それとも欧米の博物館がみんなそうなのかは分からないけど、展示物との間には仕切りがなくて、手でさわれるようになっている。
「優菜、ご覧、お城の絵だ。『去年レイジンハートで』C・クレット。やっぱり西洋のお城は違うね。こういう荒涼とした土地に映えるのは石造りだよ。日本の城ではこうはいかないからなあ」
絵の下に解説が添えられている。英語だけじゃなくて、いろんな国の言葉が添えてある。

  『去年レイジンハートで』C・クレット
  クレットは十二世紀後半から十三世紀にかけて活躍したグッタペルカ出身の画家・文筆家。著作には『北部略史』『メモリーズ』等。『去年レイジンハートで』は晩年の作品に当たる。書簡等によると未発見のものを含めてそれぞれ百点以上もの膨大な絵画・著書が存在し、また、処女作の発表からこの『去年レイジンハートで』の完成までにまるまる百年もの時間が経過していることなどから、現在ではこの名前は一個人ではなく複数人、複数世代の集団の共有するペンネームであったと考えられている。
  『去年レイジンハートで』は当時のヨーロッパ画壇における主流的な技法が用いられ、大陸との文化的な関連の強さを如実に示している。また、一枚の絵の中に異なる時点の城が多重的に描かれている点も当時の生活を窺え、歴史的価値が高い。


なるほど、確かによく見るとちょうど春夏秋冬で絵の中が四等分されている。左側の農村風景が春、お城から堀のほうを眺めて、これは魚を釣っているんだろうか、来ている服装が少し薄着になっているから、これが夏、お城の中の中庭みたいなところに集まった人々は宴会中、構図から考えて春の反対側だから秋、冬は奥の雪景色。
その中心、四季が交わる城の中と外の境に、男の人が立っている。愁いを帯びた瞳は、虚空を見ているみたい。
「先生、これって……」
そう言って周りを見ると、先生はもう別の展示品の前にいた。まったく、忙しい人だ。
「おいで、ほら、こういうのが面白いんじゃないか」
先生が指差しているのは小さな本だ。のぞいてみたけど、英語ばっかりで読めない。英語の国だから英語を使っているのはあたりまえか。
「ご覧。“ディアボリック・キャッスル”直訳すれば“魔王城”だね」
「“魔王城”って、明日私たちが行く城がですか?」
「やっぱりこういう城にはいわくの一つや二つはないとね。イギリスにもやっぱり七不思議とかがあるのかなあ?」
七不思議レベルのいわくだったらいいけど。

  “魔王城”伝説
  レイジンハート城は別名を“魔王城”といい、数々の伝説が残されていることで有名です。城に住んでいた人々が次々と謎の死を遂げる、あるいは城の近くの町に悪魔が訪れ、夜な夜な人々を苦しめる、といったたぐいの話はこの地方の子供たちならだれでも一度は聞いたことがあるでしょう。しかしこれらは荒唐無稽なおとぎ話というわけでもないようです。
  近年の研究によると、レイジンハート城の造成とほぼ同じ時期にこの地方で何らかの病が発生したことが分かっています。伝説はもしかしたら、病気を恐れる人々が作り出したのかもしれませんね。


「おっと、そろそろ六時だ。確か三階の食堂に集まるように言われてたんだったね」
さっきまで大はしゃぎで見ていた展示品を横目に階段を驀進する先生。食べ物に対して真摯な態度をとれるのは先生の長所だ……たぶん。
それにしても、フランス料理とかイタリア料理とかは聞くけど、イギリス料理ってどうなんだろうか。紅茶とかそういう嗜好品系は得意そうだけど、料理っていうのが想像しにくい。
「ほら、早く早く。早く来ないと全部食べちゃうよ」
世知辛い世の中だ。



(続く)
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